2003~2020年度の川崎医科大学衛生学の記録 ➡ その後はウェブ版「雲心月性」です。
日本衛生学会 67巻3号(2012年5月号)

編集後記


竜巻が地平をなぞり,雹が舞い降りる異常気象。次々と登校の子供たちの幼い生命やはちきれんばかりの身体を損なっていく至らぬ者たちの凶器となった自動車。さらには衝撃的に防風壁に串刺しにされたバスの画像に涙する失われた命への追悼。大震災から1年以上を経てそれでも復興に向けた報道も伝わる中で,派生した原発問題からこの国が目指す方向は,まだ迷走しているのかとしか感じられず,それでも夏の電力不足に向けて,一人ひとりが生活を考えなければならない事態に直面していることは確実な印象ですね。

3月の京都での学術総会では,テーマとして掲げられていた「グローバルな環境の中での知の創造―衛生学の知の継承と発展―」の言葉通り,多くの異分野の先達あるいは秀でた方々からの深みのあるご講演,多くの連携研究会等による企画セッション,さらには一般口演やポスターも歴史に深い古都から滲み出てくる様な素晴らしい発表に,知としての興奮と,衛生学という領域での慈しみや人の健康を愛することを教わったような気がしました。

年度が改まって,日本衛生学会では理事長そして理事会体制が新たな時代に入ってまいりました。今号の冒頭あるいはすでに学会ホームページに遠山新理事長のご挨拶が掲載されておりますが,Consider—Challenge—Createを旗頭に突き進む体制になりました。3Cです!会員の皆様,しっかりと心に刻んで,日本衛生学会の次のステップに向かっていきましょう!

編集委員会は,学会本体の体制と若干タイムラグを持って,6月一杯までが現体制。そして7月から新体制。ただし,編集委員の先生方については,約半数は継続(3 年任期の真ん中の年の1 月からご就任していただいている先生方は,残り半分,よろしくお願いいたします)ということになっています。この3 年間で,小泉編集委員長のもと,EHPM はmedline 化が達成され,それに伴って全体のあるいは海外からの投稿の増加も得られましたし,会員の皆様も掲載された論文が容易に世界の研究者の目に触れるという状況をご理解いただいて情報発信としてのEHPMの意義をご理解いただいてきていると感じられます。付加価値としての web of science への登録が残された課題かとは感じておりますが,不肖,大槻が,次の三か年の編集委員長を仰せつかりました(公募でしたから,手を挙げたのではありますが,お認め頂いてありがとうございました)。和文誌編集委員長には,熊本大学の加藤先生に就任していただくことにもなりましたので,両機関誌の更なる活性化に鋭意努力していきたいと考えております。

和文誌の編集後記(だったんですよね,この枠って)も9回目です。3回目(第65巻3号)くらいから高校~大学の頃に作っていたオリジナル曲の歌詞を掲載したり,昨年の3 号(5 月号)では大震災を受けて,偶々地元のAMラジオで披露した復興支援オリジナル曲の歌詞を掲載させていただいたり(京都の懇親会で披露させていただきました)するようになって,なんと好き勝手な編集委員長だって,お怒りの方々もいらっしゃるとも思いますが,ご容赦ください。今回までです(苦笑)。またここ2回ほど,勢いに乗りすぎて饒舌極まりない内容でしたので,最後は穏やかに……と思っております。

京都の学会の前には,桑港でのSociety of Toxicology(SOT),そして,引き続き墨西哥カンクンでのInternational Commission on Occupational Health(ICOH)に参加してきました。小雨が続いた桑港では,会場近くのSan Francisco Museum of Modern Art で,学芸員さんの説明ツアーに参加して気持ちを和ませたり,海産料理店で舌鼓を打ったりできました。そしてカンクンではAllergy & Immunotoxicology Scientific Committee のSecretary をしている関係で,発表やら座長やらの合間で,白い砂浜と深く碧いカリブ海に浸り,さらにはチチェン遺跡のツアーで古代文明の謎に包まれたりと貴重な時間を過ごすことができました。詳細は,川崎医科大学衛生学のウェブサイト,トップサイトの写真クリック(で「いくつかの場面」と称しているサイトに飛びます)で,2012年のサイトでご覧ください。帰国して大学に戻ったのが3月23日の午後11時前後,翌日は9 時から京都で編集委員会でしたので,懇親会用のギターを背負いながら眠い目をこすって新幹線で移動しましたが(笑)。

3月にこんなに大学を留守にしたためなのかどうか,4月以降,なんだか予定されている仕事に実働が追いつかずに,とっても苛立つ日々を過ごしてしまいました。ついつい仕事が溜まり気味になっちゃうこと,いろんな背景の中で種々の組織が進める方向性に対して自ら抱いている印象との距離感に当惑すること,いろんな人間関係の中でもっと素直に実直に話し合うことができればいいのになぜだか大人の世界には日の差し込まないところでいろんな人の思惑が蠢いてしまうこと,そんなことどもで厭世観に捉われがちになってしまうことなどに苛まれてしまったのです。そのせいかこの間の職場の健診では,血圧がいつになく高かったし……。それでも黄金週間に雲一つない青空の下で花々を飾った「とっとり花回廊」などに出向いて,少し癒されてきています。笑顔を忘れないでおこう。自分の生き方に忠実でいたい。そして,人々の気持ちと健康を愛していきたい。自分でやっているnet radioのタイトルそのまま,「心身健全!」です。

最後に,オリジナル曲の歌詞を紹介します。そろそろ梅雨でしょうか……1988年12月29日に,丁度大学院生の頃,学生のバンドと一緒に2 月のライブに向けて作った曲です,場面は雨の季節。舞台は港。……タイトルはTearsです。

'cause she was trying hard to keep back her tears 港は もう sunset
はなやかな ネオンに  街角に あふれる
young lovers 見渡せば まるで 昨日までの やさしい肩 捜すように

'cause she was trying hard to keep back her tears 傾く その silhouette
うなづいて 一人で さり気なく 手を振る
long hair かきあげて まるで 吐息ひとつ 心の中 しまうように

歩き出す 少女の背中を 雨が 追いかけてゆく
濡れ急ぐ Port town に 波音だけが 耳に残った
   She can say good-bye to her tears

'cause she was trying hard to keep back her tears 彼方を 舞う seagull
写し絵の 姿に 投げつけて サヨナラ
breakin’ heart 守るよに やせた 肩をまるめ 白い肌も 凍るように

'cause she was trying hard to keep back her tears 汽笛も もう silence
行きなれた Cafe にも あふれてる メモリー
sweet nights 過ごしてた 今は 帰る場所も 失くしてただ 揺れるように

振り向いた 少女の視線は 雨に けむるばかりで
濡れ急ぐ Port town に 波音だけが 耳に残った
   She can say good-bye to her tears

(大槻剛巳)